「疲れたなぁ」って、誰もが口にすることありますよね?でも、疲労って実は、私たちの体や心のいろいろな部分に影響を与えているんです。
疲労の原因は、大きく分けて「身体的疲労」と「精神的疲労」の2つがあります。身体的疲労は、筋肉の収縮や代謝によってエネルギーが消費されることで起こります。一方、精神的疲労は、ストレスや不安、緊張などの精神的な要因によって起こります。
疲労が溜まると、身体や心のさまざまな機能に悪影響を及ぼします。身体的には、免疫力が低下したり、集中力が低下したり、不眠症になったりすることがあります。精神的には、イライラしたり、憂鬱になったり、不安になったりすることがあります。
また、疲労が溜まると、病気を引き起こすリスクが高まることもわかっています。例えば、心筋梗塞や脳卒中、糖尿病、がんなどの病気は、疲労が溜まっていることで発症しやすくなります。
疲労は、決して我慢するものではありません。疲労を溜め込まないためには、適度な休息と栄養をとり、ストレスを溜め込まないようにすることが大切です。
今回はそんな疲労の豆知識を紹介していきます。
「お疲れさま」の意味と英語表現
「お疲れさま」は、日本語でよく使われる労苦をねぎらう言葉である。帰社時や出勤時、ランチから帰ってきた時など、さまざまな場面で使われ、相手を労わり、感謝の気持ちを伝える意味合いがある。
しかし、英語には「お疲れさま」にぴったり当てはまる言葉がない。目上の人から目下の人に「よくやった」とねぎらう意味で使われる「Good job!」「Well done!」は、同僚や友人同士で使うと違和感がある。また、相手が疲れていることを前提に言う「You must be tired」も、親しい関係性でなければ失礼にあたる場合がある。
では、英語では「お疲れさま」をどのように表現すればよいのだろうか。
一つの考え方としては、相手が疲れているかどうかに関わらず、労苦をねぎらう意味で「Thank you for your hard work.」を使う方法がある。これは、日本語の「お疲れさま」に最も近い意味合いで使える表現である。
また、相手が疲れているように見える場合は、「You look tired.」と言うこともできる。ただし、これは親しい関係性でないと失礼にあたる場合があるので、注意が必要である。
さらに、相手が仕事や勉強などで成果を上げた場合、その成果を認め、ねぎらう意味で「Great job!」「Congratulations!」と言うこともできる。
このように、英語で「お疲れさま」を表現する方法は、状況や相手との関係性によってさまざまである。
「お疲れさま」は、相手を労わり、感謝の気持ちを伝える、日本語特有のコミュニケーションワードである。英語にはぴったり当てはまる言葉はないが、状況や相手との関係性に合わせて、適切な表現を使うことが大切である。
疲れ知らずの鉄人たち、その秘密に迫る
マラソンやトライアスロンなど、疲労の限界を超えてゴールを目指す耐久レースは、近年ますます人気を集めている。
その中でも、特に過酷なレースとして知られているのが、サハラ砂漠を約240kmにわたって走り抜ける「サハラマラソン」である。最高気温が50℃に迫る灼熱の砂漠で、選手たちは体力的にも精神的にも限界に挑むことになる。
また、アメリカ南部のテネシー州で行われている「バークレイ・マラソン」も、非常に過酷なレースとして知られている。約160kmの険しい山道を60時間以内に走破しなければならず、コースの全容は前日まで謎のままなのだ。そのため、道に迷ってゴールにたどり着けず、完走者が極端に少ないという。
さらに、イギリスで開催されている「ブルータル・エクストリーム・トライアスロン」は、距離が尋常ではない。水泳約7.7km+バイク約360km+マラソン約84kmという、通常の鉄人レースの2倍の距離を完遂しなければならない。そのため、並みの人では道半ばで精根尽き果ててしまうだろう。
そして、アメリカの12の州を横断する「レース・アクロス・アメリカ」のソロレースは、12日以内にゴールをする必要があり、参加者はほとんど寝ずに自転車をこぎ続けるため、中には幻覚を見る選手もいるという。
これらのレースに挑戦する鉄人たちは、まさに「疲れ知らず」といえるだろう。彼らは、自分の限界に挑戦することで、新たな自分を発見し、人生を豊かにしているのかもしれない。
しかし、いくら過酷なレースに挑戦しても、無理をして体を壊しては元も子がない。松下幸之助氏の言葉にあるように、「苦しかったらやめればいい、無理をしてはならない」というのが、大切なことだ。真剣に生きる人ほど無理はしない。努力はしても天命に従う。これが疲れないコツである。
疲れの語源に見る、人間の弱さと強さ
「疲れ」という漢字は、部首に「やまいだれ」が使われていることからもわかるように、病んだ人のぐったりとした様子をイメージさせるものである。しかし、その語源には、私たちの弱さだけでなく、強さも垣間見える。
「つかれる」の語源には諸説あるが、その一つに「尽く」という説がある。つまり、疲労とは、体内のエネルギーが尽き果ててしまった状態のことである。私たちは、日々の生活や仕事の中で、常にエネルギーを消費している。そのエネルギーが尽きると、身体は動かなくなり、思考も鈍くなる。まさに、疲労とは、人間の弱さの象徴とも言える。
もう一つの説は、「憑く」である。疲労とは、何か邪悪なものに取り憑かれたような状態であることから、この説が唱えられている。私たちは、何かに夢中になったり、ストレスを感じたりすると、心身ともに疲れやすくなる。そのような状態は、まるで何かに取り憑かれたかのように見えるのかもしれない。
また、漢文学者の白川静氏は、「病」の音読みの「ヘイ」や、「疲弊」の「弊(ヘイ)」は、疲れた人の乱れた息の音と関連性があるのではないかと指摘している。疲れた人は、息が乱れ、青息吐息になる。そのような息の音が、私たちの耳に「ヘイ」と聞こえたのかもしれない。
このように、疲れの語源には、私たちの弱さだけでなく、強さも垣間見える。私たちは、疲労を乗り越えて、さらに成長していくことができる。しかし、一方で、疲労を過信して、無理をしてしまうこともある。
とことん疲れきった時、「精根尽き果てる」という慣用表現を使うことがある。精根とは精力と根気のことだ。精根込めてものごとに打ち込むことは大切だが、精根尽き果てて抜け殻のようになってしまわないように気をつけたい。
疲労は、私たちの弱さと強さの両面を示すものである。疲労を乗り越えて、さらに成長していくためには、適度な休息と栄養をとること、そして、心身のバランスを保つことが大切である。