夏の風物詩、花火。その美しい光景や迫力ある音に、誰もが心を奪われますよね。
でも、花火って実は奥が深いんです。その歴史や技術、そして知られざる秘密など、花火に関する雑学を知れば、花火をもっと楽しむことができます。
そこで今回は、前回に引き続き、花火の雑学をご紹介します。
花火大会で「たまや~」って叫ぶ意味とは?
夏の風物詩である花火大会。美しい花火を眺めながら、思わず「たまや~」や「かぎや~」と叫んでしまう人も多いのではないでしょうか。
この掛け声の由来は、江戸時代に両国川開き花火大会で人気を博した「玉屋」と「鍵屋」という花火屋の屋号に由来します。
当時、両国橋を挟んで両岸で花火大会が開催され、上流では玉屋、下流では鍵屋が花火を打ち上げました。両方の花火がとても素晴らしかったため、観客たちは打ち上げられる花火に向かって、それぞれ「玉屋!」「鍵屋!」と応援の意味で掛け声をかけるようになりました。
その後、玉屋は火事で廃業してしまいましたが、掛け声だけは残り、今では全国の花火大会で聞くことができるようになりました。
「たまや~」や「かぎや~」の掛け声は、単なる応援の声にとどまらず、花火の歴史と伝統を今に伝える大切な文化と言えるでしょう。
お盆の花火の由来と意味
夏の風物詩として親しまれる花火大会。その中でも、お盆の時期に開催される花火大会は、特に多くの人々に愛されています。
お盆は、先祖の霊がこの世に戻ってくるとされる、日本の伝統的な行事です。家族や親戚が集まって、先祖を供養し、一緒に過ごす大切な時期です。
そんなお盆の時期に花火大会が行われるのは、なぜなのでしょうか。
その理由は、花火が古くから死者を弔う目的で行われてきたことにあります。花火は、元々は悪霊を追い払うためのものでした。また、初めて公式な花火大会が行われたのは、江戸時代の1733年で、その目的は飢饉や疫病で亡くなった人々の魂を慰めるためでした。
お盆の花火は、この伝統を受け継いだものと言えるでしょう。先祖の霊を迎え入れ、その魂を慰めるという意味で、花火は欠かせない存在です。
また、お墓で花火をする習慣も、お盆の花火の意味を理解する上で重要です。お墓は、先祖の霊が宿る場所と考えられており、花火は先祖の霊を喜ばせ、来世の旅立ちを祝うために打ち上げられます。
お盆の花火は、単なる娯楽ではなく、先祖を敬い、その魂を送り出すための大切な儀式なのです。
花火大会のフィナーレを彩る「スターマイン」とは?
夏の風物詩である花火大会。そのフィナーレを飾る花火といえば、なんといっても「スターマイン」です。
スターマインとは、連続発射打ちと呼ばれる打ち上げ方のことで、数十発から数百発もの花火を、ほぼ同時に打ち上げるものです。その迫力と美しさに、多くの人々が魅了されています。
スターマインの打ち上げ方には、大きく分けて2種類あります。
1つは、縦に打ち上げる「アップスターマイン」です。アップスターマインは、花火の玉が空中で上昇するにつれて、花火の色や形が変化する様子が楽しめます。
もう1つは、横に打ち上げる「ワイドスターマイン」です。ワイドスターマインは、花火の玉が空中で広がる様子が楽しめます。
スターマインの花火は、さまざまな色や形で打ち上げられます。赤や青、緑などの基本的な色に加えて、虹色や金色、銀色などの色も使われます。また、星やハート、動物などの形をした花火も打ち上げられます。
スターマインは、花火大会のクライマックスを飾る花火です。その迫力と美しさに、多くの人々が魅了され、夏の思い出として心に残ることでしょう。
日本で初めて花火を見たのは、戦国武将か?
夏の風物詩として親しまれている花火。その歴史は古く、紀元前3世紀の古代中国にまで遡るとされています。
では、日本で初めて花火を見たのは誰なのでしょうか。
これまでは、江戸幕府初代征夷大将軍・徳川家康が、1613年に英国王ジェームズ1世の使者ジョン・セリスから花火を献上されたのが最初だと考えられていました。
しかし、1972年に出版された『仙台藩資料大成』に収録されている『伊達家治家記録』によると、1589年に米沢城で伊達政宗が唐人による花火を楽しんだという記述が見つかりました。
この記述が正しいとすると、徳川家康よりも24年も前に、日本で花火が鑑賞されていたことになります。
この2つの説を比較すると、徳川家康説は、当時の政治記録である『駿府政事録』に記述が残っていることから、より信憑性が高いと言えるでしょう。
しかし、伊達政宗説も、伊達家が代々大切に保存してきた記録である『伊達家治家記録』に記述が残っていることから、完全に否定することはできません。
どちらの説が正しいのか、はっきりとしたことはわかっていませんが、いずれにしても、日本で初めて花火を見たのは、超有名な歴史上の人物だったことは間違いないでしょう。